支部25周年記念山行(山楽山学クラブ)<西中国山地>

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    【日程】2024年2月9日~2024年2月13日

    【行程】2/9 松ノ木峠9:00—12:00後冠山—13:30広高山分岐—15:20ピーク1099から北へ400m地点(テント泊)

    2/10 キャンプ地6:30—10:30ピーク1111地点10:40—14:50小郷山—15:40オサカエ峠(テント泊)

    2/11 オサカエ峠9:00—12:50京ツカ山—14:40横川越(ボウキノキビレ)(テント泊)

    2/12 横川越7:50—11:20恐羅漢山12:00—12:30台所原—14:40天杉山—15:10野田原の頭(テント泊)

    2/13 野田原の頭5:50—7:50野田の百本松—11:00高岳11:20—12:30樽床橋登山口—15:00斎山荘

    【参加者】2名

    【登山概況】 例会担当リーダー(T.Y)

    今冬もやはり、雪は少ないが、信頼出来る相棒の参加があり、思い切って山行を実施した。

    結果、何とか五里山の藪も最初の笹漕ぎだけですみ、何とか3泊4日で、恐羅漢山のピークに立つことが出来た。

    その後、吉村一人で、台所原~天杉山~野田原ノ頭で泊~野田の百本松~高岳へと向かい、長いアスファルトを歩いて、支部のホームベースである斎山荘でゴールを迎えた。

    この縦走の成果は、積雪状況に大きく左右されるが、人にまず会わない醍醐味がある。

    ルート・歩行タイム共、まったく予見できないおもしろいコースだと考える。

    今回、熊の足跡は見ていないが、数多くの足跡を見るにつけ、まさに野生動物の天国と思う。

    八郎杉と呼ばれる巨杉やブナの巨木もあり、県下一の秘境と言ってもよい、魅力溢れる山域だ。

    また、私は、勝手に広島の岳人の「積雪期縦走の登竜門」と位置づけてもいる。

    最後に、日本山岳会中国ブロックで100周年記念事業として聖山別れ~野田の百本松間を地元の協力を得て、分水嶺登山道を復元した。

    毎年この区間の登山道整備(笹狩り)を支部で実施していることもあり、私たちのホームグラウンドとして大切に後世に残したいものだ。

    【感想】 M.S

    本当なら7年前に歩き終わっていた。登山教室の番外編としてW先生から「Sちゃん、いいところがあるんよ。」と、新米はその気になっていた。

    山行の1か月前、突然の訃報に計画も泡と消えた。先生が大好きだったコースをいつかは歩きたかった。

    チャンスは巡ってくる。Y副支部長(以下「Yさん」と呼ばせていただきます。)から誘いを受けた。昨年は風邪で参加できず。今年は多忙で参加困難。

    しかし、直前、なんとかできそうだ。1週間前、自分の体調と積雪状況を確かめるため、京ツカ山までの日帰り山行を実行。ジムに通い5㎏減量した体は軽快だ。

    雪山を18km歩き自信を得た。予定どおり9日から入山すると言うYさんに参加を申し出た。

    私は恐羅漢山までの約30kmを、Yさんは記録上おそらく初めてとなる虫送峠(191号線)までの約45kmに挑む。

    1日目、オサカエ峠までは、積雪10~30センチと少い。広高山から先はアップダウン、ブッシュ、藪漕ぎでやっと歩けるほど。

    尾根もわかりにくい。GPSなしで歩いた先人達は偉業としか思えない。

    2日目から吉村さんは咳が出はじめ、夜は咳が止まらない。3日目の朝には吐かれ、体調が悪そうだ。オサカエ峠からまた秘境に入る。さらに体調が悪化した場合を考え下山を具申した。大丈夫と譲らなかったが、最後は安全のため下山することを決められた。

    もうひと眠りして体調を整える。しかし、9時に起きてテントを開けると朝日がさしていた。「Sさん、天気がいいよ。行こうか。」と。私は目が点になった。また大丈夫としか言わない。この日はずっと曇天で、朝日がさしたのはこの一瞬だけだ。山の神の後押しに感謝する。

    Yさんは辛そうにもあるが、一定のペースを刻んでいる。これは大丈夫と感じた。気がつけば順当に横川越えまで歩き3日目のテント泊。ここまで来れば安心だ。
     オサカエ峠から東は積雪20~50センチ。厳しい西側と違い、穏やかな山容で難所はない。途中の1158ピークは最大の見所だ。十方山から冠山まで、180度のパノラマが見渡たせる場所はここしかない。この日はガスだったが想像の景色を楽しんだ。
    4日目の朝、今日合流するAさんにYさんの体調と2人で下山する旨を電話した。Yさんは仁王の形相になる。「まだ、決めていない。」またまた目が点になった。

    恐羅漢山頂でAさんとYさんの歓迎を受けた。差し出されたチキンとおにぎり。久しぶりのシャバの飯は旨く、ありがたい。

    Yさんは朝日を見て元気になったと、おやじの下ねたギャグで笑わせる。そして、恐羅漢の奥地に歩きだした。

    Yさんは、4泊5日で斎山荘までの約50kmを歩かれた。ただ、安全のため高岳から聖湖に降りられた。虫送峠手前は藪と複雑な地形があり、雪不足では進めなくなるからだ。

    私は3日目から体が慣れ、気力も体力も充実していた。心はクリアーで透明だ。気持ちはおおらかで、何にも動じる気がしない。

    秘境は人を強くさせてくれる。どっぷり山に浸かる縦走スタイルは、私のライフワークにしたいと思う。

    雪山は、どこでも歩け、その日に歩けた場所でテントを張れる。水場には困らない。自由で創造性にあふれる魅力がいっぱいだ。

    Yさんは初代事務局長であり、支部創設メンバーだ。私にはレジェンドであり、ミスターJACの一人である。一方で初心者にも同じ山の仲間の目線で接してくださる。次世代の若者に登山の夢を語ることもできる。明るさ、包容力、肯定感の高さは、大きな目標を持って世界に挑まれた山男だからと感じる。こんな1歳違いの兄貴との秘境旅は素直に楽しかった。ありがとうございました。

    最後に、出迎えてくれたAさん、Yさん。昨年、送り出しや出迎え準備をいただいた有志会員の皆様。

    最初に誘ってくれたW先生に感謝申し上げます。ありがとうございました。

    ヤマレコ https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6501706.html

    【ヒヤリハット報告】

    無し

    恐羅漢山で出迎えた仲間と

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