アマ・ダブラム遠征報告③(BC~帰国)
10月20日(16日目) C2からBCへ 「いろいろ思う」

殆ど、眠る事ができず明るくなってきた6時頃、テントから出て岩壁に座る。
大野と原はよく眠っているし、シェルパテントも、どこかわからないが動きはない、見える限り、一つ一つの山に神様がいそうな山脈が蒼い空の下に並ぶ。
振り向けば、アマダブラムが目の前にそびえ立っている。
いろいろな思いが頭を過る。
「あと30分ぐらいで山頂だったのにナゼ登らなかったのか」「あの酸素があれば大野は大丈夫だったのでは?」「C3を使えば余裕だったはず」「高度順応が時間がもう少しあれば」「ここで、もう一泊して、また夜、山頂を目指した方がいいのでは」
ゴミだらけの異臭のするC2で物思いにふける。
目の前の岩に鳥が何度もやって来る。
標高6000mでも、鳥は余裕なんだなあと考えを変え自分を誤魔化したりする。
考えれば考えるほど、心がザワつきイライラしてきている。
これもレジェンドが言ってた「高所では意味も無くイライラする」なのか?違う気がする。
自分たちでちゃんと考え、自分たちのペースでやれば全員が登攀ができたのではないかという想いが強くなる。
28時間行動の後だが身体は、まだまだ元気だし夜まで休む事ができれば、全然いけそうだ。
ピークに行きたいという気力も残っている。
たくさんの山仲間の顔も浮かぶ、
あと少しの処で降りた事が正しかったのか、何度も考えてしまう。
簡単には「しかたない」とは思えなかった。
そのまま2時間ぐらい、座っているとシェルパも起きお湯を沸かせてティーを出してくれた。
大野と原も起きてきたので原の登頂の話しを聞き素直に原だけでもピークを踏んでくれて本当に良かったと思い、少し心が落ち着く。
大野も元気ではないが会話もでき動けているので安心する。
暫くして登頂を果たした社長が起きてきた。
すぐに「ここで休んで、もう1度アタックのするのはどう?」って聞くと即返答で「天気が。。。」と帰って来た。
我々は日本から得た情報であと数日は天気が安定する事を知っている。
一旦、落ち着いた心がまたモヤモヤとしてきた。

味わった事ないほどの眠気と下山とモヤモヤ

すっきりしない気持ちのままC2から下山開始。
C2からは雪も減り岩壁をトラバース気味の下りが続く、イエロータワーも順調に下山し、各自のペースでBCを目指す。
社長はシェルパにフォローしてもらいながら降りてきているので、広島チームが先行して降りて行く。
心はまだアマダブラムに後ろ髪を引かれる思いだが黙々と降りる。
C1が漸く見えてくると、気が抜けたのか突然、凄い眠気がやってきた。
自分でも「なんだこれは??」と思えるほどの眠気だ。
徹夜明けの授業や試験勉強でも味わった事ない眠気だ。
大田は仕事柄、不規則な睡眠や徹夜に強い方で、社会人になってからは、ここまでの眠気を感じた事がない。
原は相変わらず元気そうだが、同じように大野もツラそうだ。
眠すぎて、セルフを取ったりする事も億劫になってきている。
セルフを取らずに進んだ方が緊張感が増し眠気が無くなるんじゃないかと、良く無い考えが頭に浮かぶ。
前を行く大野はしっかりとセルフをかけ替えながら進んでいるのを見て、良く無い考えを取り消す。
なぜ、このような状態になったのか判らないまま、なんとかC1を通過しハイキャンプを目指す。
ハイキャンプに到着した頃から暗くなってきた。
その頃から、またモヤモヤが蘇ってくる。
疲れから心に思っていた事を皆に聞こえるように喋りながら歩いていたようだ。
凄くイライラしていた。
20時頃、BCキャンプ着に直ぐにテントに引きこもった。
原が「うどんが出来ているので食べましょう!」とテントの外から言ってきたのだが「いらない、、、今、誰とも話したくない。。。」と答えてしまった。
なんで、こんなに苛ついてるのだろうかと自分でも不思議だった。
体調も悪い、熱を測ると38.5℃だった。
何もしたくないし、誰とも話したくない。。。変な気持ちのまま眠りについた。




10月21日 (17日目) 身体の異変を感じたBCと再会

気分も体調も変な感じの中、いつものようにテントで目を覚ます。
昨晩、BCに帰着した時にイライラした感じのまま、誰とも話さずテントに入ったので、テントから出にくい。。。
いつもなら外にすぐトイレに行くのに、テントから出ず小便ボトルで済ます。
まだ、みんな起きていないようだが二度寝もできず、本を読んだりしていると食堂テントが活動を始め、社長やシェルパたちがテントから出てきたようだ。
どうも気まずくテントから出られない、そうこうしていると漸く大陽がテントを照らしだし暖かくなってきた。
テントから外を見ると相変わらず目の前には何度、眺めても飽きないアマ・ダブラムが目の前にある。
「雲一つ無い、最高の天気じゃないか。。。」昨日の苛立ちが少し戻ってくるが、もう今更言ってもしかたない。
テントから出られず、モジモジしていると聞き慣れない流暢な日本語と社長が話しているが聞こえる。
社長に誰かインタビューでも来ているのかなー?とかテント内から聞き耳を立てていたのでが、どうも違うようだ。
あ!もしかして!?っと思いテントから慌てて出ると、そこに山田利行くん事、トシくんが笑顔で立っていた。
テントから出るきっかけを作ってくれてありがとうトシ君(笑)
そこからは、みんなで食堂テントに入り、みんなでワイワイ、広島チームの話や明日からアマ・ダブラム10時間以内往復を目指すトシ君の話しで盛り上がり、朝飯、昼飯、夜飯と全て一緒に食し楽しい時間を過ごす。
我々3人とも、やはり体調はおかしい。
手足全ての指が痺れ、身体は浮腫み、唇は腫れ、なにより動く気がおきない。
やはり私たちがいた高度は人間は居てはいけない高度だったのだろうと初めて感じる事ができた。
明日、4時にアマ・ダブラム往復にスタートするトシ君の検討を祈り19時過ぎに解散。
今日、一日、社長は1度も話し掛けてこなかった。
いつBCを撤収するのか判らなかったがトシくんから「明後日にヘリが迎えにくるらしいですよ」と聞いた。


10月22日(18日目) 回復しない身体と心、感動のトシ

急に寒くなってきたBCのテント内で、あまり眠る事ができず、眠ったり起きたりを繰り返していた。
朝、4時にスタートをするというトシ君の4時ちょうどにストップウォッチをスタートし、足音でも聞こえないかなと思いながら寝袋の奥に入る。
いつものようにテントに陽が当たりだし、外に出てみると社長がBCに立つ曼荼羅のような旗の下でお線香を焚いている。
昨日は一言も喋ってないし、流石に大人げない無いなと思い傍に行ってみる。
懐かしいようなお線香の良い匂いだ。
「ヘリコプターは明日の昼過ぎぐらいに来ます。明日の午前中にはパッキングをして、登山のミーティングをしましょう、昨日、大田さんもC2ぐらいから、少しおかしかったですね」と言われた。
「凄く眠かったので、、、」で答えて会話は終わる。
最後のベースキャンプの日は少し下った場所にあるロッジに行ったり、尾根の反対側にあるアマ・ダブラムのメインベースキャンプに見学に行ってみようとか3人で話していたが、やはり動くのが面倒くさいしやる気が起きない、
結局、一日、テントでゴロゴロして又、昼飯の時間になり大野と原にトシ君が予定通り行けば14時ぐらいに降りてくるので、13時になったら尾根に登り、上で待っとこうと昼飯を食べながら話す。
昼食後、13時になったが、2人とも疲れているのだろう。出てこないので1人で尾根に登り、座り心地の良い石の上に立ち、最後かもしれない景色を眺めながら、トシ君がやってくるであろう尾根を見つめる。
明らかに普通の登山者とは違うスピードの単独行が見える。
時間は間もなく9時間半、トシ君の可能性が高く、テンションがあがってくる。
近づいてくると服は赤く、ミレーの服っぽい!凄い、10時間以内に本当に戻ってきた。
尾根を走って登ろうかと思ったが、息が上がりそうなので、そのまま岩の上で待機、どんどん近づいてくる!間違いない!トシ君だ。
GoProのスイッチを入れ、撮影をする。
小走りでどんどん近づいてくる。目の前までくるとアスリートの顔で「ゴールはあそこなんで!」と言って歩みも止めず走り抜けていく。
ゴールまで後を追いかける。疲れてないのに追いつけない(笑)ゴールで感動を伝えガッチリ握手。
我々が28時間かかった同じ道を9時間30分で降りてきたのだ。
どんなスピードなのか想像すら出来ない。
夕方、BCで一緒に食事をする約束をし一旦、別れる。
18時頃、とても凄い記録を出した疲れもあまり見えない感じで、宿から戻ってきたトシ君を囲み、夕食会を行い、また広島での再開を楽しみに楽しい時間を終えた。


10月23日(19日目) BC最終日 「たぶん伝わってないミーティング」

遂にBC最終日となった。午後一予定のヘリで一気にカトマンズまで帰る予定だ。
パッキングも済み、相変わらず絶景晴天のアマダブラムや、そこから見える全ての山を目に焼け付けていく。
11時ぐらいに社長が「登山のミーティングをしましょう」と言ってきて、広島チームと社長、シェルパと2人、レジェンドニマさんと笑顔のミンマさんで食堂に集合し、ミーティングが始まった。
「言いたいことがあれば、ちゃんと言うんで」と大野と原には伝えていたが、若い2人は感謝の言葉を述べただけで終わった。
予想はしていたが、なにも言わない2人に「オイ」と心の中でツッコミを入れた。
私の順番がやってきた。何を言ったか全ては覚えていないが最初に言ったのは「我々はロールワリン(社長の会社)のプロモーションの為に、ネパールに来たわけではない、あそこのテントに張ってあるポスターはなんだ?なんで社長がリーダーで我々が隊員なっている。我々のリーダーは吉村さんだ。最高のシェルパが2人いたが社長のお世話の為にいただけで我々にはシェルパが居なかった山行だった」という感じの事を第一声で伝えた。
社長はネパール語でシェルパに通訳、それに対して社長に返答をして欲しかったのに、なぜかレジェンドニマさんが返答、ちゃんと伝わってないのかレジェンドニマさんは、悲しそうな顔で、少し涙目だ、、、レジェンドも一生懸命話し、それをまた社長が日本語にして、こちらに伝えるが、私が欲しい返答は、殆どない。
高度順応期間の事や、まだまだ日数があり、天候も安定しているしアタックできたはずと、いろいろ話したが、話しは噛み合わず、シェルパも可哀想だし言いたい事の半分ぐらいしか言わず、少し前からソワソワと何度もテントを覗く早く昼食を出したいコックさんもあり、ミーティングは1時間ぐらいで終わった。
残りの半分はカトマンズに着いてから社長に言う事にする。
最後にここでお別れになるニマさん、ミンマさんの2人に感謝と再会をしましょうと伝え、固い握手をした。
その後、BC最後の昼食を取り皆でBCのテントなどを撤収した。
撤収した荷物も運ぶ為に、朝からゾッキョと牛飼いが来ていたのだが、ゾッキョの頭数はわずか5頭、BCキャンプへのキャラバン中に社長は「我々の為に32頭のゾッキョで荷物を運んでいます。高所登山は凄いでしょ。大変なんです」と言っていて、素直に驚き、そりゃ金かかってもしょうがないなーと思っていたが、帰りは5頭?食べた食材とヘリに詰めるだけ積めるだけの荷物は積むけど、「27頭も減る?」と思い、またもやモヤモヤしてくるが、もう笑うしかないって感じである。
BCも殆ど、片付いた頃、蒼い空に、凄い勢いで赤いヘリがやってきて着陸した。
遂にこの場所ともお別れだ。
大量の荷物を積み込んだヘリは、フラフラと重たそうに上昇、最後にもっとたくさんの景色を空から見たいと思っていたが、足下、膝の上、顔の正面も、荷物が満載、日本でも絶対あり得ないような積載方法で、景色は殆ど見えず(笑)唯一、見えるのは短パンTシャツ、リアルな操縦席の絵柄の入れ墨を腕にした欧米人のパイロットだけ。
とても面倒くさそうに片手で飲物を飲みながら、ヘッドフォンにロックな音楽をかけながら、深い谷の中を少しフラつきながらカトマンズへと向かっていった。

10月29日 日本帰国 「美味しくて綺麗な日本!」
カトマンズ空港で、お世話になった社長と握手をし、美しく別れる。
入国時と同じように社長の友人という空港管理人が現れ、いろんなゲートをドンドン順番抜かしで通してくれてアッという間に待合室へ入る。
今後の為に普通のやり方で入ってきたかったが、親切を断る事はできず、出発時間までは3時間近くあるので、最後のルピーも使い切りたいし、リカーショップでビールやツマミを買ってロビーで宴会。
空港内のビールは日本のビールより高額だ。
宴会をしていると少し前に逸れた管理人が笑顔でやってきたので、社長に言われたようにチップを50ドル渡す。
これも高額過ぎる気がするなーと思いながら笑顔で別れ、出発ロビー入る。
ここも順番抜かしでアッという間に越えて行く。
出発ロビーは、もの凄いたくさんの人、日本人を探すが発見する事ができなかった。
ネパールアルアルは起こらず時間通りに搭乗し遂に出国の時がやってきた。
飛行機はほぼ満席に近い、日本に仕事に行く人たちだろうか。
行く時同様、私は一睡もできなかったが、遂に日本に上手に着陸。
日本からカトマンズ空港に到着した時のような歓声は全く起きなかった。
最後の「ナマステ」を手を合わせ添乗員と行い遂に日本に戻ってきた。
飛行機から降りた瞬間、そこは久しぶりの「日本」だった。
ゴミも匂いもないし、壁もガラスも全て綺麗だ。
日本は世界一の清潔な国だと思う。
ネパール帰りだと異常過ぎるぐらい、どこもかしこも綺麗だ。
無事に荷物を受け取り、国内線待ちまで2時間ぐらい、足は自然にフードコートに向かう。
何を食べても美味い(笑)BCからカトマンズに降りた時は、都会はやっぱり美味しいなあーと思っていたが、やはり日本は段違い(笑)そして、国内線に乗り25日ぶりかな。
広島にスムーズに着陸、飛行機から降りると、ネパールのラメチャップ空港より遥かに人も少なく静かだ。
手荷物受け取りから、ガラス越しに待合ロビーを見ると、迎えの仲間は見えない。
今日は土曜日だし、みんな山に行ってればいいなーと思いながら、荷物を受け取り自動ドアを出ると、右側の通路に隠れていた支部メンバーが大きな垂れ幕を持って出てきた。
嬉しさより、恥ずかしさの方が大きかった(笑)メンバーが連れてきていた女の子から手作りの金メダルを首に掛けてもらい感動(泣)、お迎えにきてくれた仲間に申し訳ないのと嬉しいのと、本当に良い仲間たちができたなあーと感じた。
1時間ほど空港のレストランで盛り上がり、それぞれが帰宅の途に着いた。
遂に夢のような時間が終わった。
明日から現実を考えると時差ぼけも疲れも関係なく、なかなか眠れなかった。
