山楽山学クラブ1月例会<砲台山>

    【日程】2023年1月14日

    【行程】宇品港8:25===9:05三高港9:50—10:55砲台山登山口—11:35砲台山頂上 東屋12:00—12:40パノラマ展望台—14:15三高港

    【参加者】10名

    【登山概況】 例会担当リーダーT

     前日から続く雨が止んでくる中、三高港を出発。参加者14名の予定から10名に減ったが、健脚なメンバーで予定通りの時間で進む。三高水源地辺りからやや雨が強くなり真冬とは思えない気温も高めのため、雨と汗で濡れてくる。砲台山登山口から山道に入ったが、ノイバラ・蔓・竹などが倒れかかりハサミ・鎌・鋸で草刈りしながら進む。山頂の東屋で昼食。本来晴天ならば宮島をはじめ周辺の島々が見えるはずが、霧が濃く何も見えず残念。その後南部砲台跡~北部砲台跡を歩きながら明治時代の土木事業の凄さに思いを馳せた。パノラマ展望台も同じく何も見えず素晴らしい眺望は次回の楽しみとなる。再び林道歩きで下山する途中から、視界が晴れ島々や海が見えてきた。三高港には予定通り到着し解散した。

    【感想】 A

     1/14 8時25分発 三高港行のフェリーで広島港を出発。フェリーで山登りに出かけることの意外性や久しぶりに乗る船に興奮気味で、頭上を覆う霧や小雨はあまり気になりませんでした。小雨が時折降る中、三高港から登山口まで長いアスファルトを歩き、登山口から各々持参したハサミや鋸で山帰来や茨、細い竹を成敗しながら進みました。山頂に昼頃到着、東屋で食事をとり、西日本一の砲台跡を見学へ。猪が耕す構内は仕方ないとして、清掃が行き届きごみが落ちておらず、大事にこの遺跡を維持管理されていると感じました。宮島にも砲台跡があり瀬戸内海には遺跡が多いのねと思ってましたが、国の防衛のために造営場所の調査をして作られた施設だったのですね。明治9年広島港要塞構想発案、29年着工、34年に完成した砲台群は、広島港へ商船を避難させ、海外からの攻撃に備えることを目的として作られたそうです。一度も使用することなく、第一次世界大戦が終了し、日露戦争に勝利して対外的に脅かされることがなくなったため、大正8年に整理、廃止する事が決定。瀬戸内海は風光明媚な所ですが、観光や物流に貢献してきただけでなく日本の歴史の流れを感じさせる場所ですね。帰りのフェリーからは雨が上がってほぼ山の姿が見え、次の縦走予定を楽しみに島を後にしました。