アマ・ダブラム遠征報告②(BC~山頂アタック)
10月15日(11日目) BCからC1までの往復

朝、大野が熱を測ると39.2°、パルスオキシメーターも60台…すぐに解熱剤を飲んでテントで休ませる。
回復を祈るのみである。
朝食を済ませ、簡単に安全登山のお祈りをして出発。
今日の予定は、C1までの往復。デポする荷物も少し運ぶ。
隊長には大野に付き添ってもらう。
ウダヤさんと原と大田だけになり、急に寂しくなる。大野に元気になってほしい。
BCからすぐの尾根を登り、ダラダラとした登りの尾根をひたすら登る。
登るのだろうと思っていた尾根は違っていて、2度ほどトラバースし大きな尾根にとりつく。
少し雪も出てきたがルート上には殆どなく問題ない。
5000メートルを超え、どんどん高度をあげていく。少しでもペースを速めると息が苦しい。
あの時よりはマシ、まだ全然行けると自分を励まして呼吸をなるべく乱さないように、登っていく。
C1は5650メートルぐらい。
ダラダラと登る長大な尾根はとても疲れる。
絶景が唯一の心の支えだ。
原はまだまだ元気そうだが、大田はまあまあ疲れていたが、まだ行けると思っていた頃、滅多に笑顔を見せないレジェンドシェルパのニマさんが、今日はここまでにしようと5450メートルぐらいのところで、荷物をデポ、最後の坂を登ったところにc1のテントが見えていたので、内心、行ってしまいたかったがレジェンドの言うことは聞いた方がいい。
高度順応の為、30分ほどダラダラ休憩して下山開始。
休憩中、明日からの行程の話になる。
明日、またここまで登ってきて、C1に一泊、翌日C2より少し上で泊、翌日、山頂アタックをする。
正直、「え?もう?」と思ったのと回復に努めている大野が間に合わない可能性が高い。
天気もしばらく持ちそうなのにである。モヤモヤしながら下り始める。
調子に乗ると息が苦しくなる。
30分程下ったところで、休憩、やっぱり言おうと思い、大野の為に1〜2日の休息日を作ってほしいとウダヤさんに話すとレジェンドと相談すると行く事になり、とりあえず下山を続ける。
暫くして隊長から無線が入る。
大野と一緒に5000メートルぐらいの尾根まで登ってきているようだ。
だいぶ回復したみたいだ。本当に良かったがまだまだ本調子ではない。
BCに戻り、遅めの昼食を終え、夕食までアイゼンを研いだり、ハイキャンプに持っていく荷物の整備をする。
絶景の中、イヤホンで音楽を聴きながらのアイゼン研ぎは楽しかった。
余りお腹は空いてなかったが、もう夕食。
夕食の最初に、明日から行程が発表。
明日は大田、原は休養日、大野は5000メートル以上まで登ってみて、自身の調子を正直に話してほしい。
オッケーなら翌日、みんなでアタックへ向けて登攀すると言うことになった。
1日、延ばす事ができて本当に良かった。
後は大野の回復力を信じるのみ。
毎日、美味しい日本食を作ってくれる名前の難しい日本人みたいなコックさんに感謝しながら、夕食をおえ、各自、テントで休憩。
外には満天の星空が出ていると思うのだが、寒くて見に行く気に気にならず…明日は休養日だ。
ゆっくり身体を休めると共に大野の回復を祈る。
昨日の夜は隣のテントの大野はかなり咳き込んでいたが、今日は聞こえない変わりにボトルにオシッコをする音が今聞こえた(笑)3人で登りたい。




10月16日(12日目) 休養日

今日は、初めての休養日、明日から、いよいよBCを離れアタック体制に入る。
大野は明日から一緒にアタックする為の身体チェックで9時半ごろ、1人でハイキャンプ付近までめざす。
大田、原はレジェンドに装備のチェックをしてもらったりハイキャンプでの食糧を分けたり準備をする。
時々、大野と無線更新をしながら、のんびり過ごす。
装備について、いろいろ不安があったが、これで安心した。
昼は、外で景色を見ながらランチ。食べ終わった頃、大野も元気に降りてきた。
明日から一緒に行けそうだ、本当に良かった。
原は相変わらず元気。大田も調子がいいが、むくみからか、前から気になっていた瞼の裏の異物が痛い。
涙が凄い出る。目薬刺しても変わらず。
いよいよ、明日スタートをすれば頂上に行くしかない。
今シーズン、まだアマダムナムの山頂は踏まれていない。
当然、トレースもない。同時期に何隊か登ると思うので、どうなるかわからないが、楽しみと同時にc2以降のそそり立つ絶壁と雪壁をどうやって登って行くのか、3日間眺めていても不安だ。
でも行くしかない。
もう一つの不安は、まあまあ荷物が重い。
昨日、軽荷でもしんどかったのにC2まて行けるんだろうか…いろいろな不安も残るけど、明日が楽しみだ。
大野も少し咳をしているが、表情は明るく大丈夫そうだ。
それぞれが明日に向け、のんびりしているようで、パッキングに余念がない。




10月17日(13日目) アタック開始!ハイキャンプへ

10時に安全登山の儀式を行う。
内心、「もう行くのか⁉︎」「高度順応はできているのか?」と不安を感じながら蒼い空に真っ白なお米を投げる。
すぐそばに見えるアマダブラムは変わらず美しい。
不安の中、さあ出発となった時に、トラブル発生で結局、11時半頃にBCを出発。
今日はハイキャンプまで行くだけなので、焦る必要もない。
最初は並んで歩いていたが、高度順応で一度歩いた道なので、それぞれが自分のペースで進む。
大田は昨日の休養の効果は全く感じず、相変わらず苦しい。
原がどんどん先行し、大野、大田と大きく間を空けて進んでいく。
荷物も、それぞれ20キロ前後あり辛い…。
普段の装備なら、ここまで重量が増える事はないのだが、出発前の業者との打ち合わせ不足でキャンプで使うような化繊の重たい巨大な寝袋を運ぶ事になり、その分、パッキングもデカくなる。
原より1時間近く遅れて、C1より200ぐらい下部のハイキャンプへ到着。
今日はここまでだが、時間もあるし高度順応も兼ねて、アイゼンやギアなどのデポできる物だけ持って、c1手前まで登りハイキャンプへ戻り、サタケさんから頂いたマジックライスで夕食。
寒さも高度もあまり変わらない感じでよく眠れたかな。
10月18日(14日目) ハイキャンプからC2(6,100m)へ

いよいよ、ここから岩場へと姿を変えてくる。6時半頃出発。
もう近いと思っていたc1までも意外と遠く、苦しい息をしながら登っていく。蒼い空に向かい尾根を登り切ると漸くC1に到着。
少し拓けている場所にはテントが上手に張ってある。
C1を超えると、殆ど岩陵帯となってきて、緊張感は増すが息苦しい中を黙々と歩くよりは楽しい。
セルフを赤いフィックスロープにとりながら、慎重に進む。
少しでも息が乱れたり、何かの作業をすると、しばらく息が整わない。
トラバース系が多い岩場を超えるとイエロータワー、何かの資料にグレード5.9となっている。
フィックスロープあるし、見た目もそんなに難しくない。
レジェンドが先に登り、上からサブロープで引き上げてくれるみたいだ。
そんなサブロープはなくても登れるけどなと思いながら、大田の順番がくる。
サブロープはザックの上のグラブループに掛ける。
ソールの硬い冬用の靴ということもあるが、登り始めると難しい。
スルスルと登ってみようと思っていたのだが、「空気」が足らないのだ…
垂壁の壁を登ろうとしたら、どうしても難しいタイミングの時に息を止めてしまう。
その度に「空気不足」で息があがってしまい呼吸が戻らず、何度も息を整える時間を作らないと登れないし、ザックのグラブループにかけたロープを上から引っ張るので、岩に押し付けられるような感じになり、イライラする。
思わず「これ邪魔だー!」と叫んでしまう。
日本語で(笑)その後、なんとかザックから外しビレイループに掛け替える。
その後は息絶え絶えながら登る事ができた。
上でセルフを取り、次にあがってくる、クライミングが得意な大野を見ていたが、やはり同じように息絶え絶えになって苦労していた。
恐るべし6000メートルである。
このイエロータワーを超え、雪と岩の細い稜線を行くと、そこがc2だった。
よくもこんなところに、テントを張ったなと思うような、絶壁沿いである。
歩く場所も殆どなく、トイレに行く時が1番危なそうだ。誰にも知られず滑落しないように気をつけなくてはならない。
そして、C2はゴミだらけで臭いも中々だ…
指定されたテントに入りサタケのマジックライスを食べてすぐに休息とした。
景色は絶景なのだが、ゴミは凄いC2であった。




15日目(10月19日) C2(6,100m)からピーク(6,856m)へ
6,000メートルを超えたC2での睡眠は不思議な感じだった。
若い2人は判らないが、半分寝てるような寝てないような状況は続き、寝ながら軽い頭痛と軽い吐き気を感じるなあーと夢の中にいるように感じながら起床時間の深夜0時を迎える。
19時半頃、寝たような気がするので4時間ぐらいの仮眠だ。
3人とも起きた瞬間に「頭、痛いなー」と意見が一致。
全員がロキソニンを服用。私はこれで回復。
私はマジックライスと永谷園のお茶漬けで、ささっと朝食を済まし暗闇のテント外へ出る。
もう、出発を始めている隊もあるようだ。
ここからはアイゼンも装着、ベースキャンプで研いだアイゼンで狭い場所に並ぶテントを踏まないように気をつけなければならない。
若手2人も準備が終わり出発を待つ。
出発時間の深夜1時を少し過ぎているが、シェルパたちは、まだ今回、一緒に登っているエージェントの若社長のお世話をしている。
お湯を沸かしたりしていて、一向に出発できる気配でもない。
BCを出発前にレジェンドシェルパ、ニマさんが「高地では訳もなくイライラしたりする事があるが怒ったりしないように」と言っていたのを思い出しながら心の中で「外人アルアル外人アルアル郷に従え」と思いながら臭くて狭い岩場にちょこんと座りじっと待つ。
時がどんどん過ぎて行くが我慢して、観察していると、若社長は顔に酸素マスクを付け、子どものように大人しく腰掛け、両足のアイゼンをシェルパに履かさせてもらっている……
アイゼンも自分で履けない奴とオレは一緒に、こんな高い場所に来ているのかと考えると、情けなさと怒りが両方込み上げてきたが我慢。
聞こえるか聞こえないかぐらいの声で「お前何しよんや!」と噛み殺した声で呟き堪える。
ここで揉めてはいけないという想いの方が強かった。
時間は刻々と過ぎて行くが、まだ準備は終わらないようだ。アイゼンを着け直したりしている。
本気で先に行ってしまおうかと思ったが、ヘッデンのスイッチも切り、地面を見て堪える。
2時前後に漸く出発、「行きましょうー」とこちらを見るエージェント社長の顔には、カッコいいマスクみたいなのが付いている、思わず「何それ?」と聞くと「酸素」と返答があった。
お客さん扱いはされたくない広島チームだが、その一本しかない酸素は、我々、広島チームに何かあった時の為に、ここまで運んできたわけじゃなかったのね……
もう怒りも起きず、呆れてしまった…何日も前から少しづつ思っていた事が決定的になったなと確信した瞬間でもあった。
この山行の1番の目的は「エージェント若社長を安全確実にピークに連れて行き山頂でカッコいい写真と動画を撮る事」それが1番の目的なんだろう。
こう考えると、キャラバンからの色々な出来事が合致して納得した。
それならそうで切り替えて、我々は我々だけで頑張るしかない。
広島チームだけの安全は守らないといけないと思いながら、なにかやるせない気持ちでの出発となった。

C2からは、登攀要素の多い壁が連続してきた。
暗闇での登攀となるがフィックスもあるし怖さはない。
早く明るくならないかなーと思いながら、連続する壁を越えていく。
多分、気温はマイナス10度以下だと思うが、寒さは感じない。
分厚い手袋でのユマールの操作はイライラするが仕方ない。
先頭は社長、私と続き登っていく。
アイゼンでの歩きには慣れていないと思うので、スリップして顔や手を怪我したくないので、少し距離を置きながら進んでいく。
岩には氷の壁も時々あり、久々のアイスクライミングの感じも足先だけ楽しみながら進む。
相変わらず息は苦しいが、体力的には、まだ余裕がある感じだ。
少しづつ少しづつ高度をあげていく。いつの間にか夜は空けてきて、見上げればピークのある稜線が見えている。
岩壁は減ってきて、雪壁地帯となってくる。
先頭のシェルパと社長は、いつの間にか、だいぶ先を歩いている。
離されまいと思うが、連続して歩く事ができない。
これが酸素有りと無酸素の差なのか⁉︎
フィックスロープの継ぎ目でユマール交換をする作業だけで暫くの間、呼吸が乱れ歩く事ができない。
後ろから若者2人が来ているので、頑張らないといけないと思うのだが、体力より息が続かない。
足元にはトレースもあるが、日本の雪と違い、トレースは簡単に崩れてしまう。
乾燥しているから、日本のように固まらないという事だ。
場所によっては、トレースを外して歩いた方が楽だと感じた。
酸素社長とレジェンドシェルパは、いつの間にか、はるか先へと行っていた。



遭難遭遇、そして登頂と撤退
かなり遠くなったレジェンドを追うも、なかなか追いつけない。
原を先頭にして登っていく。
大田は原のペースにはついていけないが、少しずつレジェンドも近づいてくる。
気づけば、大きなセラックの横まで来ていた。
多分、何十年も前から、そこにあり続ける巨大なセラックだ。
アマダブラムを遠くから見ても山頂直下に見える。
そのあたりから、上方を進むレジェンドや他のチームが停まったままだ。
最初は待ってくれているのかと思っていたのだが、どうやら事故があったようだ。
レジェンドニマさんが事故の対応をしているようだ。
進むか待機するか迷ったが、とりあえず動きがわからないのて、上方に注意しながら登っていく。
途中、二つぐらい、手袋かなにか雪面を滑り落ちてきた。
その後、暫くして全く動かない、多分、欧米人がロープに確保されながら、雪面を降ってきた。
意識はなく顔から包まれていて、固定された足のミレーのブーツが鮮明に目に焼き付き恐怖を感じた。
滑落はしてないと思うので高山病からの何かしらの出来事が起こったのだと思う。
支点箇所で、場所を入れ替わり我々は上を目指す。
レジェンドシェルパ、社長、原、大田、大野、陽気なシェルパを最後尾に進んで行く。
もう頂上の稜線は見えているが、少し前から気になっている事が2つ、「時間」と「大野」だ。
時間は14時近くになっている。
出発前にタイムアウトの時間は聞いていない。
このまま、山頂まで行き戻り始めると、確実に日は落ちるだろう、大丈夫なのか⁉︎という不安。
そして、少し前から動いてはいるが、話しかけても、何も反応がない大野。
2つの心配を思いながら、稜線まで辿り着いた感じのある原を目指し高度を少しあげていく。
振り向くとシェルパに励まされながら、大野も来ているようであるが目も合わないし、止まっている時間が長い、ユマールの付け替えも上手くできなくて止まっている。
心配になり声をかけても反応がない。少し降りて顔を覗き込むと目を閉じて眠っているではないか…、この瞬間、「もうダメだ」とても大野と一緒にピークまで行くのは無理だなと感じた。
上を見ると稜線で原がこちらを見ながら待っている。
笑顔のシェルパ、ミンマに任せて稜線まで原の処まで行こうかどうか一瞬迷ったが、6700メートルで眠っている大野を置いて行く事は、やはりできなかった。
「もう時間じゃ!降りよう!」と少し大きめの声で大野に声を掛けるが、その声にも大野は、反応しなかった。
高度計を見ると山頂まで100メートルを切っていたが、後悔はない。
正しい判断だと言い聞かせて、あと2ピッチ程度の山頂を見ながら、原が登頂してくれたと願い、下山を開始した。

ピーク(6,856m)からC2へ 暗闇の撤退

撤退を決意し下り始めようとすると、大野の後にいた笑顔のシェルパミンマが「上に行こう!」とジェスチャーしてくる。
「大野を連れて降りる!」とジャスチャー返し、笑顔のミンマは「オレは行ってくる!」という感じのジャスチャーをしてピークに向かっていった。
このあたりから、大田の記憶もハッキリしない部分がある。
大野に「降りるで!」と大きな声で言うと僅かに頷くような反応、フィックスロープに下降器をセットし2人で高度を下げ始める。
大田はこの時、ユマールをフィックスロープに取り付けたまま忘れて降りていた(シェルパが下山時に回収してくれ後で渡してくれた)後から登ってきていたフランス人っぽい女性とインド系のオジさんにも進路を譲る。
この2人以外に登ってきた登山者はいなかったと思う。
そこから記憶が暫く曖昧なのだが、C3の少し上あたりで、日は落ち真っ暗になった。
その頃には、レジェンドシェルパの2人も酸素社長も原もピークから降りてきて合流、私が先頭で暗闇の中、下降器で降りて行きC3の平坦な雪面で待つ、社長が単独で下降できないのでレジェンドがフォローに入るので、下山のペースもかなり遅れる。
少し雪も降ってきていている。
標高もなかなか下げる事ができず、正直、心の中では、これは遭難に近いなあーと思っていた。
C3の台地で中々、降りてこない後続を待つ。
ヘッデンの電池も勿体ないし、スイッチを切り背中を向け待っていると、上から「どこだぁー」みたいな事を叫んでいるので、時々、ヘッデンのスイッチを入れて居場所を教える。
C3の台地で全員が集合、「C2は泊まるテントがないのでC1まで」とか「C2で集合」とか情報が錯綜し曖昧だ。
「これはヤバイ」と思って、広島チームだけでも安全に降りようと心を切り替え、大野、原と逸れないように気をつけて降りて行こうと話すが、その後、原を直ぐに見失う。
大野は、ほぼ意識朦朧、笑顔のシェルパ、ミンマにほぼ吊り下げられるような感じで、高度を下げて行っている。
私がその後について、ロープのフォローをしたりキンクを直したりしながら着いていく。
何度、下降したかも、もうわからない。ATCを何処かでなくした大野にATCを貸した為、大田はムンターでずっと降りるが、ロープが張り気味の多く、手間取ったりしてイライラする。
漸く、C2の灯りが見えた頃、登ってくる登山者渋滞にハマり、前を行く大野とシェルパとも逸れてしまい1人になってしまった。
時計は見なかったが、登ってくる人が出てきたという事は、もう深夜の12時前後なはず、もう24時間近く行動している事になる。
それでも、C2はまだだ、、、その後、さらに渋滞にハマり、大田は岩壁にセルフをとり長い待機が続く。
半分、眠り変えていると急に肩を叩かれ、目の前にチョコレートがスペイン人登山者が包みまで空けてくれて、口の中に入れてくれて、包みは私のザックのチャックを少し空け入れて上に登っていった。
人種を問わず山を登る者は皆、友だちだなあーとなんか可笑しくなって元気が少し復活。
その後も、何度か渋滞にハマりながら、午前3時過ぎにC2に到着するが、先に進んだメンバーが何処のテントにいるかわからないし、真夜中だ。
もしかしてC1まで進んでいるのだろうか?と不安になりながら、何度か「マサキー(大野)シュンー」と叫んでみると日本語の返事が少し先から聞こえ、ヘッデンの光りがこっちを照らす。
大野が呼んでいる。
午前3時半ごろ、漸く行動終了、テントのど真ん中で原が眠っていた。
漸くアイゼンを外しテントに入っても、なかなか眠る事ができなかった。